旅行・地域

仁徳陵へ

仕事で大阪に行った帰りすぐそばに仁徳天皇陵(大仙古墳)にあるというので、寄ってみた。墓の施設としては世界最大という仁徳陵。小学校の教科書にも航空写真が載っていたのを覚えている。

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近づくと池(堀)と山だけが見える。古墳の規模が大きすぎて全体の形が把握できない。写真は前方後円墳の方墳部分の角のもの。1500年以上前に建造されたそうだが、いまでは前方後円墳の形をした杜(もり)になっている。

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解説用の模型もあったが、これもやや大きくて、背丈の低い人は全体が見えないものだった。仁徳陵を訪れたときのキーワードは「大きい」ということだった。

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ツツジの季節

今どこに行ってもツツジの花がきれいに咲いている。ツツジは地域によって種類が異なり、ツツジを見るだけでその地域の春から初夏を満喫することができる。

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四国はやはりオンツツジ。鮮やかで大きな花と3枚ずつ出る大きな葉が特徴。花弁や葉の形など全体的に丸っこい印象を受けるため、見ると少しホッとする。

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時には5m位の大きなオンツツジも見かける。林床に生えていても花が大きいので目を引く。この圧倒的な存在感もオンツツジの魅力だ。

昨年三重で見つけたオンツツジのようなツツジと比較するために今回押し葉標本を作ったので少し手の空く6月くらいに今回の標本と昨年の標本を見比べてみようと思う。

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道標

日本には旅人が道標とするために一里塚を作ったり、道標となる樹木を植える風習がある。道標となる樹木は地域によって異なり、今でも道端に大木が生えていることがある。

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土佐の道標はセンダン。このセンダンは県道脇にある。幹の直径は約1.7mだった。一体何年くらいこの場所に立っているのだろうか。歩道はこの木を避けて通してあり、木の根元はきちんと草刈りがしてあったことからも地元の人々がこの木を大事にしているのだと分かった。高知ではこのようなセンダンの大木が、看板などによって高らかに説明されることもなく、道路脇や市街地に点在し、当たり前のように守られている。

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デンドロビューム

デンドロビュームというと洋ランの代表的な種群だ。アジア原産のデンドロビュームを品種改良したものの総称であり、属の学名(Dendrobium)でもある。日本にもデンドロビューム属の植物は生育している。

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四国山地の山の中にあるとある小さな神社。そのスギの枯れた横枝になにやら付着しているものがある。これがセッコクという日本産のデンドロビュームだ。この神社にはスギの枝のいたるところにセッコクが付いている。

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写真中央のやや下には花の残骸が残っていた。もう少し早ければ美しい花を見られただろう。

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しっかりとした気根で枝に張り付いているとはいえ、やはり強風が吹くと落ちてしまうものもあるらしい。スギの根元で落ちてしまったセッコクを見つけた。

実はこの神社、10年以上前に初めて高知を一周したときに立ち寄った神社で、初めて野生のセッコクを見つけた場所なのだ。これほど大量のセッコクがある場所いまだにこの神社以外でみたことがない。一度花の時期に訪れてみたいものだ。

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青いハルリンドウ

リンドウの仲間は晩夏から秋にかけて咲くものが多い。しかし、フデリンドウ、ハルリンドウといった春に咲く種類がある。

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ハルリンドウは高さ数cmの小型のリンドウ。花の直径は約2cmにも達し、植物体のほとんどが花というなんとも可愛らしいリンドウだ。良く見かけるのは白や薄い紫の花が多いが、高知北部のとある山では青い花ばかりだった。

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明るいシバ草地一面に咲くハルリンドウ。これほどたくさんあると、踏んでしまいそうでどこを歩いたらよいのか分からなかった。

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シランの花

シランは河岸や湿った岩場に生育するラン科の植物だ。昨年鹿児島を訪れた際に、川沿いにシランの花がたくさん咲いていた。あまりにたくさん咲いていたので、写真はいつでも撮れると思っているうちに、撮るのを忘れてしまった。中には珍しい花の白いものもあり、ずっと後悔していた。

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土佐清水の道沿いに野生のシランが群生している場所を見つけた。

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運良く白花もあり写真も撮れた。花壇に植えられることが多く、植えられたものを見ても、特に感慨の無いシランだが、野生の状態でみるとこれほど美しいものなのかと感動する。

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ハイテンションでgo!!

4月に「高知県植物誌」なる本が刊行された。
内容を見ていると、つい高知県に行きたくなり、何故か高知市に着いた。
すでに夜だが、市内でもスダジイの花の香りが漂うという、南国独特の春の雰囲気だ。
さて、明日からの予定を立てなければ。

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寄り道

中国山地からの帰り、せっかくなので姫路城に立ち寄った。

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姫路城ほどの大きさになると、魚眼レンズを使ったにもかかわらず、標準レンズを使ったようにしか見えない。

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天守閣のてっぺんから姫路駅方向を見る。クレーンなどの重機のない戦国末期にこの高さの建造物をつくるのは恐ろしく高い技術力だ。当時の日本にこれほどの技術力があるのだから、鉄砲伝来の数年後には堺の鍛冶職人が洋式銃を量産している訳だ。

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とにかく白壁と屋根瓦のコントラストがすばらしい。姫路城その美しさから「白鷺城」といわれるのがよく分かる。そういえば、美術部に入部して初めて描いた油絵が姫路城のこの角度からのカットだったっけ。

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シダ群落を堪能V

伊尾木洞のシダ群落第5弾。
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鹿児島市の城山以外で見るのは初めてとなるシロヤマゼンマイ。大きな羽状の葉が特徴のシダだ。黒潮のそばだとこのような暖温帯南部~亜熱帯のシダも元気に生長する。ヤシの木がなくても十分に南国気分に浸ることができる貴重な存在だ。

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シダ群落を堪能IV

伊尾木洞のシダ群落第4弾。

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斑入りの葉が美しいマツザカシダ。斑入りのものは園芸品としての価値が高いらしい。マツザカシダというと斑が入っていないものの方が多い。斑入りでないとマツザカシダらしくないと思うのだが、なぜマイナーな斑入りを「らしい」と思うのだろうか。

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シダ群落を堪能III

伊尾木洞のシダ群落の第3弾。
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葉がギザギザなのでノコギリシダ。常緑性のシダだ。この属のシダで常緑性のものは涼しい地方ではほとんど見当たらない。どちらかといえば繊細な落葉性のシダの印象があるこの属で、ノコギリシダのような分厚いものは暖温帯に来たと感じさせてくれる。

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シダ群落を堪能II

伊尾木洞のシダ群落の続き。洞窟を抜けるとまず最初に眼に入るのがホウビシダの群落だ。暖かい地方に生育するが、なかなかこれほどの大きな群落はみたことがない。Img_8683_2

ちょうど逆光になっていて、緑色が美しい。この近縁のカミガモシダという種類を一度見たいのだが、なかなか機会がない。この下に少々気味の悪い石像がならんでいるのだが、その石像にもホウビシダが生えていた。一体何のための石像なのかは分からないが、正直ないほうがよいのではというくらい場違いなものだった。

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シダ群落を堪能

高知県安芸市には狭い箇所に暖地性シダ群落がある。その中でも伊尾木洞のシダ群落は大正時代に国指定の天然記念物になっている。実は何年も前からこの場所に行きたいと思っていたのだが、場所がいまいち分からない、しかも車で行っても止める場所がないという状態で、なかなかたどり着くことができなかった。
気味の悪い洞窟を歩いて抜けた挙句にその群落はあるらしいことが分かった。とにかくヘッドライトがないと不安なくらい漆黒の闇を歩くことになった。
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洞窟の入り口にはホウライシダ(アジアンタムという学名のほうが有名かも)がびっしり生えていて期待が持てそうだ。

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コーヒーの仲間

コーヒーの木を温室や図鑑でみると、対生の光沢のある葉の脇に赤い実がついている。日本の同じアカネ科の樹木にはクチナシがある。葉はそっくりだが、実の付き方が全く違う。太平洋岸の暖かい地域に行くと、クチナシ以上にコーヒーに似たものがある。Img_8711

コーヒーの木との最大の違いは実が青いこと。その名をルリミノキという。照葉樹林の薄暗い森の中で目立たないが、意識して探すと鮮やかな青い実にハッとする。ルリミノキをみるとコーヒーがヤエムグラやクチナシと同じアカネ科であると実感できる。

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遠き島より…

足摺岬が亜熱帯気候区であるというのは書物の知識で、実際には、「なんとなく」といった雰囲気や、林床の植物や樹木をつぶさに観察していると薄々感じることができる。沖縄に行った後に足摺岬を訪れると、全く同じ光景なのでやはり亜熱帯気候区なのだと感じる。
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ビロウヤシの群落を見ると、簡単に亜熱帯を実感できる。ビロウヤシはヤシ科の植物と言う以前に、見た目がすでに亜熱帯の雰囲気を醸し出している。ビロウヤシをみると、小難しい知識ではなく、感覚的なものも重んじていきたいと思うことができる。

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近江路

何日間か遠出をする時、少なくとも1日は生き物以外のものを楽しむことにしている。
高知県立坂本龍馬記念館ではこの時期、様々な企画展を行っている。その企画展を見に記念館に行った。これまで何度も訪ねてきたが、いつ間にか龍馬が暗殺された近江屋の部屋が再現されていた。撮影可ということで撮影してみた。
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天井が低く、夜であれば明かりをつけていても視界は悪いだろう。複雑な心境で見入ってしまった。

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相変わらず記念館の屋上からの眺めはすばらしい。記念館で紹介されていた「龍馬への手紙」なる本で自分の文章も掲載されているのを発見して驚いた。そういえばずっと前に軽い気持ちで記念館のポストに投函したような気がする。著名人、一般人含めて膨大な人が書いた手紙の中に自分の手紙も混じっていたのはうれしかった。

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飛び地の分布

ヘゴというのは九州以南に生育する木性のシダだ。このヘゴの近縁種が四国にも生育する。

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クサマルハチはヘゴの仲間で、暖帯から亜熱帯に生育する。葉の雰囲気はヘゴにそっくりだ。四万十市(旧:中村市)のクサマルハチ自生地は天然記念物に指定されている。地図にも「クサマルハチ自生地」として記載されているが、いざ表記された場所に行くと全くクサマルハチがありそうにない。車で周辺を回って「らしい」山中に入るとクサマルハチが群生していた。地図が間違っていたのか、盗掘を防ぐための工夫なのかは分からない。ただ、四万十川河口付近ともなるとヘゴの仲間が自生できるという事実には感動する。ヒノキバヤドリギのような南方の植物が街路樹についていても全く不思議ではない。

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つる性のキク

キク科の植物にはつる性のものが殆どない。しかし、キオン属にはつる性の種類も存在する。
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高知県室戸の海沿いにはタイキンギクが沢山生育している。茎がつる状になり、長さは5mを超える。沢山の花をつけ、林縁やコンクリートの壁沿いが一面黄色になる。日本では紀伊半島と四国東部のみに生育し、台湾~インドなどに隔離分布する。大昔に一様に生育していたのが、気候変動や大陸とのつながりなどの変遷を経て今の分布に至るのだと思う。被子植物の中でも最も新参のキク科の分布でさえ、これだけの変遷を経たのかもしれないと思うと、「進化」というものの時間スケールは人間の想像を遙かに超えているのかもしれない。


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最南端の断崖絶壁

四国最南端は高知県足摺岬だ。四国では足摺岬の小さな半島だけ沖縄と同じ亜熱帯気候区になる。その暖かい半島は延々と遊歩道があり、様々な風景を堪能することができる。
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断崖絶壁が迫力満点の半島先端部。遙か下の潮騒が心地よい。
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潮風の吹き付ける断崖の上部でハマホラシノブを見つけた。本来ならば波しぶきのかかるような岩場に生育するのだが、強風で高い断崖の上にまで波しぶきが届くような足摺岬では海面からかなり離れた場所でもハマホラシノブが生育する。

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南国の街路樹には…

四万十市(旧:中村市)は温暖な気候で、街路樹もナギやヤブツバキなどの南方系の種類が植えられている。朝ふと街路樹を見ると1本のヤブツバキに変な植物がくっついていた。
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ヒノキバヤドリギではないか。サボテンの様な見た目をしているが、ヤドリギの仲間で、南西諸島では普通に見られるそうだ。以前ヒノキバヤドリギの生きている姿を見たいといったら沖縄の知り合いが郵送で送ってくれたことがあった。その時はえらく感激したが、まさか高知県で見られるとは…。由来は国内帰化の可能性もあるが、野外でヒノキバヤドリギが生育できるのはやはり高知県が温暖であるからだろう。

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サザンカの咲く頃

高知県足摺岬は鬱蒼とした照葉樹林が広がり、少し北の土佐清水とは全く雰囲気の違う森林になっている。一部保護林に指定されているエリアでは巨大なスダジイが数多く生育している。
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林内を歩くと一瞬自分の居場所が分からなくなるくらい風景は一様で、林床に届く光は少ない。車道沿いはある程度伐採されているとはいえ、道の両サイドから迫る照葉樹はものすごい密度だ。
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そんな照葉樹の中にはサザンカも混じっている。ちょうど花盛りだった。園芸品種として派手に改良されたものよりも清楚で鬱蒼とした緑に映える透明感のある白い花が印象的だ。

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意外なところに…

四万十川の源流付近、峠を越えると愛媛県という場所に高知県檮原町は位置する。かつて坂本龍馬を始め、数多くの土佐郷士が脱藩の際に通った場所だ。「天誅組」に参加した人たちの出身地ということもあり、足を伸ばしてみた。山間の町で、南国とは言えない位寒冷で、信州と殆ど変わらない気候の場所だ。町の中心部にある神社は脱藩浪人達が通過したそうだが、その神社の真ん中に大きな北方系の針葉樹であるハリモミがあった。
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やや冷涼とはいえハリモミがこのような場所にあるんだと感心しつつ境内を周るとしっかりと説明書きが隅にあった。朝鮮出兵の際に地元の武将が朝鮮半島から持ち帰ったものが大きくなったもので、地元では「朝鮮松」と呼ばれているそうだ。朝鮮半島からやって来たハリモミを見上げて不思議な感覚を覚えた。

南下して四万十川の中流域にある窪川町(現:四万十町)の天然記念物のチシャノキの大木を見に行った。
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看板に表記されているのは「窪川のヒロハチシャノキ」であるが、変種関係のチシャノキとやや葉の広いヒロハチシャノキはいまいち区別がつかない。九州には比較的普通に分布しているが、四国にはごく珍しく、生育しているだけでも希少なのに、これほどの大木にはなるというのはすごい。これは人為的なものなのか、自然のものなのかは、判断できないが、大きな木というのは見ているだけで、気持ちが落ち着く。

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キクの花盛りへII

今日は少し足を伸ばして高知市から室戸岬に向かった。この時期の土佐湾はキク科の花で埋め尽くさされるというのは室戸も例外ではない。
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ただし、種類が少し変わって、昨日の白いノジギクの代わりに黄色いシオギクになる。そのためこの時期の室戸の海岸はアゼトウナ、ツワブキなどが一緒に咲き、黄色一色になる。シオギクは分布範囲が極めて狭く、徳島南部から高知県東部の海岸にしか生育していない。限られた場所に一斉に咲くのがシオギクの魅力だ。
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人工物の壁面にもしっかり咲いたシオギク。とにかくキクづくしだ。


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キクの花盛りへ

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いざ南国へと空路で高知県へと来た。この時期の高知は、キクの仲間が花盛りだ。
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海岸沿いどこに行っても白いノジギクや黄色いアゼトウナ、ツワブキが一面に咲いている。土佐湾全体が花で埋め尽くされる。
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人工的な石組みでさえこのようにノジギクで埋め尽くされる。これほど美しい海岸線は他に見たことがない。

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心の準備

秋が深まる今日この頃。未明に自分の車を見るとフロントガラスが一部凍結していた。このまま何事なく真冬になりそうな勢いだ。暖かな気候を目指し、明後日から四国に出かけることにした。
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海岸沿いではそろそろナワシログミが咲いているだろう(写真は過去のもの)。
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その辺の林には普通にヤブニッケイが生えているだろう(この写真も過去のもの)
日程の半分は真面目に勉強、もう半分は観光をしようと思っている。今から楽しみと不安が渦巻いている。


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ちりとてちん

出張で福井県の敦賀に行った。帰りにすぐ近くの気比の松原を通っていった。

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白砂青松の綺麗な海岸が延々と続いていた。ここは朝の連ドラ「ちりとてちん」のロケ地にもなった。敦賀市で行われたロケはほぼこの場所だけだ。前日まで調査を行っていた敦賀市のずっと西、小浜市は、ちりとてちんのロケが多く行われ、主人公一家も小浜市に住んでいるという設定だった。そのため小浜駅前にはちりとてちんの「のぼり」が大量に立っていた。知らぬ間に小浜市を見下ろす公園が「ちりとての丘」に変わっていたり、港に浮かぶ廃船が「ちりとての船」になり、漁港近くの海岸が「ちりとての浜」になっていたりと大変なことになっていた。

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上高地へ

個人的な調査の関係で、この夏上高地へ通うことになり、その下見に行った。

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相変わらず美しい風景だ。

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ワスレナグサの近縁種エゾルリソウがちょうど見頃だった。この花はどこでも見られる訳ではないので、上高地にやってきたと感じさせてくれる。

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ブナ-チシマザサクラス

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スゲ類の勉強にと北信地方に出かけた。植生の世界では「ブナ-チシマザサクラス」と呼ばれるブナ林の林床にチシマザサ(ネマガリタケ)が生育してという多雪地帯独特の森林を歩いた。雨なのか霧なのか分からないような不思議な天候の中スゲ類をせっせと集めた。林床はぬかるみ、明らかな降雨はないのにびしょぬれになりながら周りを見ると幻想的な風景だった。

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どの画角で撮影をしても絵になる。霧のブナ林は美しいものだ。

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知覧町観光

いきもの観察以外に薩摩半島南部の知覧町を1時間ほど散歩した時の写真。

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かつて特攻隊の飛行場があったこの場所には特攻機「隼」が再現されていた。意外に大きいものだと思った。最近上映された映画に合わせて作られたそうだ。翼の片方には燃料タンク、片方には爆弾という見ただけで片道燃料というのが分かる。

知覧町にはオオキンケイギクが沢山あり、戦前から繁茂していたという。それを特攻花として特攻隊員も大事にしていたそうだ。地域によってはオオキンケイギクの近縁のテンニンギクだったそうな。確かにこれらの植物は海辺や道ばたに沢山咲く姿は綺麗なものだ。

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知覧町には江戸時代の武家屋敷が並んでいる。当時のままの石垣や屋敷が残されている。屋敷の石垣には常緑樹が植えられていて、ハランやソテツなどの植栽が南国の武家屋敷の雰囲気を醸し出している。

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南の渓流II

万之瀬川の渓流は両岸がずっと岩場で、岩の上には照葉樹が鬱蒼と茂っている。

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岩の陰にスジヒトツバが生えていた。2年前に沖縄でみたことのあるシダだ。オーバーハングになって湿度が高い場所にだけ点々とあった。

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サツキの様で、花の色が濃くて、花弁に光沢のあるマルバサツキ。現地ではサツキの生育環境なのにデザインはサツキと全く違うので、何者か分からず、帰ってから調べた。サツキは鹿児島県には存在しないようだ。マルバサツキは少しクルメツツジの花に似た九州色だ。

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南の渓流I

鹿児島県万之瀬川は薩摩半島南部を流れている。

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岩には穴が空き南西諸島のポットホールと風景は変わらない。この場所から数km下流に行くと広大な砂浜が広がる海に出る。深い常緑樹林からいきなり海に到達するあたりも南西諸島の様な感じだ。

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飛んでいたチョウはヒオドシチョウかと思ったら、タテハモドキだった。大きな目玉模様が特徴の南方のチョウだ。

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水のしみ出す場所にはモンキアゲハが集団で吸水していた。川沿いには本州にもあるような草が生えていたので、まだ本土なのだと思えるが、南西諸島や東南アジアと変わらない風景(勝手に想像している)だろう。

万之瀬川を歩いた日は鹿児島県は30℃に達し、岩ばかりの川辺で危うく熱中症になりそうだった。

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吉野川の初夏

南九州からの帰りは、四国にフェリーで渡り、淡路島経由で帰った。四国をただ通過するだけではもったいないので、徳島県の吉野川河口に寄った。雲1つない最高の天気で、アサリを捕っている人々が沢山いた。アサリを捕っている人の周りで渡り途中のチュウシャクシギとダイゼンがカニや貝をついばんでいた。

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砂浜には帰化植物のナヨクサフジが満開だった。眼がチカチカするくらい派手な紫色だ。

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ナルトサワギクも満開だった。鳴門から淡路島、神戸に沢山ある。今回行った鹿児島にも空き地に少しだけ生えていた。これは持ち出し、栽培が禁止されている特定外来生物だ。選定理由は「海外で牛がこの植物を食べて中毒を起こしたことがあるため」。キク科はアルカロイドを多く含むため、中毒を起こすものが多い。ヨモギだって生長しきった葉を食べると深刻な中毒を起こす。他になにか理由はなかったのだろうか。

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城山の植物

鹿児島市はあいにくの雨。城山に登ったが、目の前にあるはずの桜島すら見えない。昨日は遠く離れた知覧町からも見えていたというのに…。

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昨日、知覧町から見えた桜島。錦江湾に「もや」がでて幻想的な感じで見えた。

城山は島津氏の居城であったとともに、西南戦争終焉の地である。明治初期は鹿児島県庁としても使われた。また、暖地性植物が多く生えているというので国の天然記念物にも指定されている。幕末・明治の史跡と自然が両方存在する夢のような場所だ。

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城山で記載され、その名を冠する「シロヤマシダ」。太平洋岸には点々と存在するが、城山で見ると少しだけうれしい。

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同じく城山で記載された「シロヤマゼンマイ」。今のところ、ここでしか見たことがない。もう少し南には普通に生育しているそうだ。沖縄のヒリュウシダという種類のミニチュア版のようだ。

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城山周辺の一般的な石垣。ヒメイタビというツル植物がびっしりと覆い、日本版アジアンタムであるホングウシダホウライシダが垂れ下がる。ホングウシダホウライシダという種類を初めて自分で調べて覚えたのが城山だった。島津氏が治めていた時代や西南戦争で大量の砲弾が飛び交っているときもこれらの植物は一面にあったのだろう。

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阿蘇山の「良い草地」

ゴールデンウィークは本州を離れて、九州にやってきた。

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熊本県の阿蘇山の夜明け。向こう側に見えるのは外輪山。阿蘇山は放牧と火入れで本来樹林になるはずの場所が草地の状態で維持されている。

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牧場の縁で良い感じの草地を見つけた。運良く草地の色の違いに遠くから気づくことが出来た。そこにはワレモコウやツリガネニンジン、ヒメスゲなどの高原の良い草地の象徴があった。まだ朝早く観光客がやってくる前なので、道ばたに車を止めてじっくり見ることにした。

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10mほど歩いていくとなんとキスミレを見つけた。「良い草地」の20m位の範囲に沢山生えていた。このスミレ、本当に良い草地にしかない。綺麗なので、阿蘇山でもさんざん盗掘に遭い、人目につく場所は惨たんたるありさまだという。ちょうど数日前、監視の回数を増やすというのをテレビニュースでやっていた。あまり人目に触れない場所にある「良い草地」でひっそりと咲いていたとは。写真を撮っているところを人に見られると、キスミレのありかを教えてしまうことになってしまうので、ゆっくり見るのをやめ、さっさと写真だけとってその場所を離れた。短い時間であったが、強烈な目覚ましになった。

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Cardamineの自信

アブラナ科のタネツケバナの仲間の識別は本当に困難だ。会津に行った時も道ばたをつぶさに観察した。

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オオバタネツケバナとの区別が曖昧なミズタネツケバナもじっくりと観察して少し自信が持てた。図鑑によってはオオバタネツケバナと同一と扱われるミズタネツケバナは色々な地方で採集して押し葉にしたが、識別する上で、これという決定打に欠ける。軽い気持ちでネット検索で調べるとおかしな情報が満載、本当に玉石混淆だ。一番参考になったのは古い線画図鑑。昔の人の認識能力の高さというのは尋常ではない。やはり種類の多い植物は何十年も継続して初めて身近な種類を確実に認識できるのかもしれない。

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日帰りとはいえ、今回の会津はいろいろな収穫があった。もう少しレベルアップしたら、このあたりにも頻繁に通いたいと思った。

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会津の花

会津は今が春真っ盛り。

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川辺にはハクサンハタザオ(?)が咲いていた。果実がなく決定打にかけるが、花が大きめで結構目立つ。ハクサンハタザオというと根元から沢山枝を分けてこんもりと茂るものだが、これは出始めなのだろうかと悩んだ。帰ってから、以前作った押し葉を確認したら正解のようだ。出始めはこんなに華奢なものだったとは。

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川の堤防の一角に数十メートルの「良い草地」があった。定期的な草刈り、除草剤が使われていない、履歴が長いなど良い草地が成立する要因は複数ある。良い草地をゆっくり歩くとアイヅスゲの小さなパッチがあった。上の写真の右後方にうっすらと磐梯山が写っている。アイヅスゲ、カラスノエンドウ、スイバ、チガヤ…東北の春のごく普通の姿を堪能出来たことは今回の最大の収穫かもしれない。

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脇道にそれて…。

ヤナギの仲間で、確実に北方の種がある場所にまで足を伸ばそうと思い磐越道を通って会津まで行ったのだが…

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会津若松市内で「→鶴ヶ城1km」などという看板をみて幕末好きの人間が足を運ばないわけにはいかない。知っている鶴ヶ城というのは明治初期に撮影された戊申戦争で損傷して穴ぼこだらけで傾いたの姿(幕末資料の見過ぎかも)だが、現在ではコンクリートで作られていた。実は天守閣は取り壊されたままだと今日まで思いこんでいた。相当悲壮な気持ちで入った鶴ヶ城だが、桜が満開で明るい雰囲気だった。城内は5階建ての資料館になっていて、戊辰戦争140周年記念展示があった。

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鶴ヶ城天守から白虎隊関連の話で有名な飯盛山方向を見る。

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城の隅にある時を告げる鐘。案内板にも大きく書いていないため、あまり人は訪れない。戊申戦争時、鐘を打つ係は外堀からの狙撃をうけ何人も亡くなったそうだが、鶴ヶ城開城までこの鐘は定時に鳴らされていたそうだ。会津の街に西軍が入ってから開城まで約1ヵ月。会津市街に西軍が入った次の日に白虎隊の悲劇があり、街中の女たちが自害して、残った武家の人間は城に立てこもり…。あまりにも長い1ヵ月だ。

開城時に藩主松平容保の降伏状を直接受けたのが、薩摩の桐野利秋。この9年後、西南戦争で西郷の死を見届けた後、政府軍に対して抜刀、突撃をかけて死亡するのだが、その時の政府軍の先鋒をつとめたのは旧会津藩兵。政府軍が攻撃した鹿児島の街は完全に焼失していた。なんという皮肉だろうか。

…ヤナギは…さらにこのあと飯盛山へと吸い寄せられて行ってしまった。

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紀伊半島の羊歯

紀伊半島は日本有数のシダの産地だ。

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そこら辺の岩にはシシランやヌリトラノオといったむせかえる位空中湿度が高い場所に生えるシダがごく普通に生えていた。アスファルトの舗装路まで苔むすくらいの地域なので当たり前と言えば当たり前なのだが、その「当たり前」が内陸地域に住む人間にとっては憧れの環境なのだ。

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ヌカイタチシダも元気に生えていた。この属のシダの中では一番葉の表面の光沢が美しいのではないだろうか。写真に写っているのは昨年の葉だが、展開したばかりの葉はさぞ美しいのだろう。このシダをみるのはいつも昨年の古い葉しかみないので一度初夏に綺麗な葉を鑑賞したいと思う。

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春日山の原始林

奈良の春日山から若草山周辺を歩いた。観光ついでに登るには少し距離があるので、歩いている人は少ない。世界遺産に登録されているにもかかわらず、騒がしくなく、静かな巨木の杜を堪能することができるお薦めの場所だ。

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山頂から巨木の杜が延々と続いて、その山裾の杜の中に春日大社がある。春日大社はちょうど春日山と奈良市街地との間をつなぐ移行帯のような役割を果たしている。

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若草山山頂はちょうど桜が散り始めていた。桜吹雪の中、シカたちが一生懸命食べていたのは桜の花びら。草よりも栄養価があるのか、単に美味しいのか口の周りに花びらを沢山付けて花びらだけを食べていた。

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麓まで歩いて来ると目の前を青く光る虫が横切った。地面に降りたのをみるとオオセンチコガネ(大型のフン転がし)だった。普通オオセンチコガネは緑や、くすんだ赤なのだが、この地域のものだけ、青くなる。以前虫屋さんに標本を見せてもらい、その美しさに息を呑んだ。生きている姿は宝石そのものだった。この生きたサファイアはしばらく私の足下をうろついてから飛んでいった。

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いにしえの道

「熊野古道」は伊勢詣、熊野詣に使われた他、林業の巡視に紀州藩の役人が巡視につかった道でもあったという。西国最大の難所と言われた八鬼山越えの道にいった。

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苔むした石畳がその歴史を物語っている。

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道沿いにキシダマムシグサ?(あとで図鑑を調べないと…)が咲いていた。

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崖の上の林にはリュウビンタイが群生していた。かつてブームで採りつくされ、野生のリュウビンタイは殆ど見ない。見ることが出来たのは本当に運が良かった。道沿いには大量にナチシダが生えていて沖縄のやんばるの森の様だった。八鬼山の北半分は国立公園だが、南は私有地が多いせいか、法規制のゆるい地域になっている。地元の人々の世界遺産登録反対などが多い場所なので、難しいのだろうが、この豊かさは天然記念物に値すると思う。

今回は、八鬼山山頂まで登る予定だったが、登りはじめのスギ林やヒノキ林が宝の山で、ついつい見入ってしまい、車から30分くらいの場所から上は全く登れなかった。山頂まではあと3時間ほど…。地図を見て、全く登山していない自分に気づく。宝の山が当たり前の様にあって釘付けになる…そういう意味で山頂にたどり着けない難所だった。

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熊野へ・・・

日常を脱出すべく、熊野地方に向かった。

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三重県大紀町の県道46号藤坂峠から熊野灘方向を見ると、昔の修験者の気持ちになれる。鬱蒼とした森林の向こうに熊野灘がうっすらと見えている。山の斜面が所々白いのはちょうど満開のヤマザクラ。

この県道、本当に公道なのかと思うほど道幅が狭く、小型車か軽自動車でないと通れない上、急斜面に通した道なのにガードレールがなく、あちこち崩れていた。バイク用のツーリングマップにも「足がすくむ」という解説が書いてある。最初はこの県道に入ったことを後悔したが、この峠まで来て、その気持ちが吹き飛んだ。

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峠ではタチツボスミレが満開だった。

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道沿いにナチシダがあった。四国や九州では何度か出会ったが、本州でナチシダをみるのは初めてだ。「那智シダ」の名のとおり紀伊半島で記載されている。黒潮の影響を受けて暖かい上に、大量の雨がこのような南方系のシダを育んでいることを感じさせてくれた。

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ヒシクイの来る池

琵琶湖の東に西池という小さな池がある。その池はヒシクイ(亜種オオヒシクイ)が飛来する南限として知られる。ヒシクイの姿を見たくなって何年かぶりに訪れた。

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言い伝えでは、蘇我氏との政争に敗れた物部守屋がこの地にやってきて、身の回りの世話をした農民たちのためにこの池を作ったという。山沿いの少し大きなため池という印象だが、ここは様々なカモ類が訪れ、ヒシクイも羽根を休めている。関ヶ原から少し北上しただけでも、しっかり積雪があり、日本海の雰囲気が漂っている。

日本海側ということもあり、トモエガモが奥の方で寝ていた。観察小屋からカモ類とヒシクイを堪能した。

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↑コンパクトデジカメを忘れてしまい、スコープに一眼レフを押し当ててみると…なんとなく寝ているヒシクイが写っているのが分かるような…ヒシクイは寝ているものと、泳いでいるものがいた。とにかくヒシクイは表情が豊かなので見ていて飽きることがない。

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琵琶湖畔の夕焼け。以前ブログで紹介した豊かな水田雑草が沢山生えている場所も今は雪が積もっていた。植物が寝ている間の琵琶湖周辺は大量のガンカモが訪れ、夏とは別の賑わいをみせていた。

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半平太の家

新年明けましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。折角の新年、初日の出でもアップロードしようかと考えておりましたが、らしい写真が撮れず…。しばらくストック写真を使います。

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高知市の南部、筆山の近くに武市半平太の生家がある。武市半平太は土佐勤王党の主格で、坂本龍馬や中岡慎太郎もこの組織に属していた。武市家は坂本家の親戚筋にあたる。建物のみではなく、周囲の風景も含めて当時の雰囲気を良く残していて、国指定の史跡になっている。

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今でも武市家の方々が住んでおられるため、挨拶をして、入り口の写真を撮らせて頂いた。この建物に勤王党の面々がたびたび集まって議論し、酒盛りなどもしていたと思うと本当に感慨深い。

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桂浜と言えば…

桂浜と言えば坂本龍馬像。

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近くで見るととても大きい。地元学生が主体となって昭和初期に建てられたものだが、「軍神」の意味合いもあったらしい。龍馬自身はそこまで祭り上げられるつもりはなかっただろう。しかし、おかげで戦時中も殆どの銅像が軍需品として供出されたにもかかわらず、龍馬像は供出を免れた。老朽化が進んで土台が腐食し始めていたそうだが、最近補修された。補修前は着物の家紋がよく見えなかったが、補修後は家紋が金色に塗られて良く見えるようになった。今年は龍馬没後140年ということで龍馬像の横にやぐらが組まれて自由に登れる様になっていた。

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龍馬像を横から見ることができるとは龍馬ファンとしては感涙ものだ。

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龍馬像の視線の方向の海。黒潮がゆったりと流れている。海の向こう、高知県芸西市には妻おりょうとその妹君枝の像が龍馬像に向かって手を振っている。一寸粋な演出だと思う。高知県内で海沿いに銅像が建っている幕末の人物は、龍馬の他に中岡慎太郎、武市半平太、中浜万次郎があるが、それぞれ土佐の自然を代表する風景の中に像が建っている。

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月の名所は…

「よさこい節」で歌われる桂浜は月の名所とされる。そんな桂浜の小高い丘の上に浦戸城跡がある。

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長宗我部氏の居城として使われ、関ヶ原後は土佐にやってきた山内氏のものとなった。山内氏の体制が確立する前後、長宗我部側の家臣の反乱の拠点にもされた。現在では横に高知県立坂本龍馬記念館が建設され、記念館には連日多くの観光客が訪れるが、浦戸城跡に訪れる人は殆どいない。城跡には小さなほこらと鳥居があり、石垣の一部と思われる石組がところどころにある程度だ。なんとももの悲しい雰囲気だが、高知県の史跡を回る上では外すことの出来ない場所だと思う。

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坂本龍馬記念館は様々な資料があって1日居ても飽きない場所だが、一番の魅力は屋上からの風景だと思う。この風景を見るために記念館に立ち寄るといっても過言ではないくらい雄大な風景を堪能できる。

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石灰岩の山II

石灰岩の山は雨の浸食などで独特の急峻な形になる。

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岩肌が露出したほぼ垂直の崖に張り付いている針葉樹がヤツガタケトウヒである。ヤツガタケトウヒはかつて大陸と陸続きだった頃には普遍的にあったとされ、現在では南アルプス周辺の石灰岩地にほそぼそと生き残っている。

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道沿いにハハコグサの仲間のトダイハハコがあった。これも南アルプス周辺にしか生育していない。葉の表面に白い毛が生えていない近縁種のヤハズハハコというものを富士山の近くでみたことがあるが、白い毛があったほうが、品があると思う。ウスユキソウ(エーデルワイスの近縁)にも通じる繊細さだ。

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石灰岩の山

長野県大鹿村から南アルプスに続く山塊は石灰岩質の岩が露出している場所が多い。石灰岩というのは日本にはふんだんに存在するが、石灰岩が露出している場所というのは少ない。

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豊口山の登り口の様子。紅葉にはまだ早いが、気の早いヤマブドウは紅葉を初めていた。

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フジアザミの花も何とか残っていた。花の直径は6cmくらいだろうか。とにかく大きい。アーティチョーク(チョウセンアザミ)の様に食べられそうだが、食べたことのある人の話ではまずいそうだ。南アルプスの辺縁に多くて、細々と乗鞍~北アルプスにも見られる。南アルプスのフジアザミと、北アルプスのオニアザミ、この2種が山を登り始めたことを感じさせてくれる。

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水路

琵琶湖のすばらしさは湖やその周辺の川だけではなく、農業用の水路まで植物が豊かだ。

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この水路は見渡す限りコウホネが生えている。今やコウホネそのものを見かけなくなったのにこれだけあって良いのだろうか…。水路を管理する側からすれば迷惑なほど生えているのだろう。農薬や三面張りの水路の登場で一気にこういった雑草が消滅している。迷惑な雑草との「共生」はできないものだろうか。

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水に沈んだコウホネが黄色い花を付けていた。植物本体は水に沈むと形を変えて流水に適応するが、花は虫に花粉を運んで貰わないといけないので、花だけ水上に出している。

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コウホネが生育している水路の近くでミズアオイを見つけた。綺麗なのであちこちで保護されていて、柵の中で綺麗な花をつけているが、野生のものを見ることはまずない。外来のホテイアオイが全世界で繁茂している一方で、日本のミズアオイはどんどん姿を消している。

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にほの海

日本で一番大きな湖は琵琶湖である。カイツブリが多いので旧名をとって「にほのうみ」という。琵琶湖は湖というよりは1つの海という感じで、対岸が全く見えず、少し高台から眺めると瀬戸内海にいるような感覚になる。この湖にはたくさんの水草が生育している。種類もさることながら、その現存量もおびただしい量である。

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岸際に打ち上げられた切れ藻。高さ30㎝くらいに達している。クロモ、ササバモ、センニンモなどの普通の水辺ではなかなかお目にかかれないものばかりで、まさに宝の山だ。

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浅瀬に生育するセンニンモ。生きている姿を見ることさえ滅多にないものが、当たり前の様に生えている。この当たり前がずっと続くことを願ってやまない。

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夢中

生き物好きは単独で行動する人が多い。私も生き物を観察するときは単独行動が多い。しかし、生き物好きばかりが集まると、とてつもなく集中力が高まる時がある。6月第1週の土日、長野県植物研究会の例会(観察会)に出席した。Photo_18

上の写真はみんながミヤマウメモドキという湿地に生育する樹木を観察している風景である。殆どの人がデジタルカメラで写真を撮るか、ルーペで拡大して観察している。

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これはメニッコウシダというシダにもいろいろ変異があるということで、周辺のメニッコウシダを集めて葉の幅が広い順に並べて、それぞれの人が意見を出し合っている時の写真である。こういった会合に出席する時には教えて頂く立場になったり、反対に教える立場になったりするという良い感じのギブアンドテイクの大人の人間関係が成立する。それ故にこういった会合に出席する際には常日頃の修行が必要であると感じさせられる。今回の例会も得た情報量の方が遙かに多く、大いに反省点の多い例会であるとともに、大いに充実した例会であった。

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田原坂

何日かかけて旅行するときは1日は生き物以外にも眼を向ける日を作ることにしている。今回は鹿児島から大分臼杵に向かう途中、思いつきで西南戦争(1877年)の激戦地田原坂に寄った。

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田原坂頂上付近から北方向を撮影。写真中央より左の丘を超えて撮影者後方にある熊本城に向けて官軍が進んできたのを機に戦が始まったそうだ。

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上の写真は現在の田原坂。当時は段々畑と棚田が広がっていたらしい。畑にミカンが植えられた程度で、風景の印象は変わってなさそうな感じだ。田原坂の戦いの最中は雨が降り、風景が白んでいたというから、写真のような風景の中、激戦が繰り広げられていたのだろうか。もともとこの坂は戦国末期に熊本城への侵攻を防ぐために加藤清正が人工的に作らせたものだという。戦国時代とは比べものにならない火力を持ってしても、官軍がこの細い坂道を突破するのに20日くらいかかっている。田原坂を突破した官軍はそのまま熊本城に入り、薩摩軍は南北に分かれて敗走。この時、薩摩軍の敗北が確定した。この戦いから半年後に鹿児島の城山での戦いを最後に西南戦争が終結する。

この戦争を最後に歴史の表舞台に武士が出てくることはなくなった。この戦いの時、参戦した士族はどのような考え、気持ちだったのか、薩摩軍幹部は?西郷は?官軍は?などと考えているうちに1時間程度の寄り道のつもりが半日が過ぎていた。熊本県植木町には両軍のお墓も点在しており、1日かけて歩いても足りないくらいかもしれない。

(2007/05/04撮影 Canon EOS30D Sigma10-20mmZoom Lens)

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