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コーヒーの木を温室や図鑑でみると、対生の光沢のある葉の脇に赤い実がついている。日本の同じアカネ科の樹木にはクチナシがある。葉はそっくりだが、実の付き方が全く違う。太平洋岸の暖かい地域に行くと、クチナシ以上にコーヒーに似たものがある。
コーヒーの木との最大の違いは実が青いこと。その名をルリミノキという。照葉樹林の薄暗い森の中で目立たないが、意識して探すと鮮やかな青い実にハッとする。ルリミノキをみるとコーヒーがヤエムグラやクチナシと同じアカネ科であると実感できる。
2008年12月10日 (水) 旅行・地域, 植物 | 固定リンク
実のつき方がまるで違うクチナシとコーヒーは似ているのは葉っぱだけだが、クチナシの仲間のルリミノキはコーヒーに似た実をつける。だからコーヒーとクチナシ(ヤエムグラも)はアカネ科の仲間だと感じさせられるということなのか。何だか三段論法みたいだ。 オレンジ色のクチナシの実は身近なところでもよく見かける。少しひからびていても摘み取ると実の内側からじわっと濃い色素が染み出て指を染める。 しかしコーヒーは生のままの赤い実を見たことがない。子供のころはインスタントコーヒーが普及していた。時代が下って煎ったコーヒー豆をミルで挽いてスローで深い味わいを楽しむゆとりが広がるまで、「違いが分かる男のコーヒー」という宣伝文句のコーヒーを飲んでいたと思う。 我々の親のまた親の代、明治の人がコーヒーを日常的に楽しむことはまだ少なかったらしい。ある明治生まれの人は村でたった一人コーヒー豆を挽いて湯を注ぎフランネルのような布で濾して飲んでいたという。周囲で誰も味わうことのないものを味わうところに特別な意識も芽生えるらしい。 明治といえば日本が近代国家へと大転換を遂げた時代だ。性急な西洋文明の取り込みの中でコーヒー豆も少しずつ広がっていったのだろうか。教科書の明治のページを開くたび、大日本帝國憲法発布の宮中式典や鹿鳴館の舞踏会など新時代を鼓舞する華やかな絵が登場した。中でも江戸浮世絵から飛び出したような面差しの男女がにわかに燕尾服やローブデコルテを身につけたかに見える絵が何とも不思議で印象深かった。和でもなく洋にも辿りつかない微妙なところに明治の気分があるように思えた。 明治生まれの中村草田男は「降る雪や明治は遠くなりにけり」と遠ざかりゆく時代に感慨を抱いた。それからはるかな時を経て今ひとつリアリティのない時代となった明治は、降る雪の向こうに錦絵の華やぎとともに輪郭線のない姿でぼうっと浮かび上がる。輪郭線のない絵はさまざまな幻想や神話を生む。たとえば激動の明治という時代を支えた人々は誰もがふところに進取の気性と稜々たる気骨を秘めていたのではないか、などと。 しかし村で一人コーヒーを飲んだ人の息子は、明治生まれの父親を反面教師としてきたと語った。暖衣飽食して不摂生の果てに家業を傾け、若死にして子に苦労をさせたからだという。朴訥な村人の前で少しばかりの知識を並べて見せたのも、誰もコーヒーを知らない田舎でせいぜいコーヒー1杯を飲んだほどのことだと切って捨てた。 コーヒーを飲むことがまだ走りだった時代のコーヒーの香りは今とは少し違っていたのだろうか。子に恨まれた人の飲んだコーヒーからは湯気と共に「浮薄」という香りが漂ったのかもしれない。 実はコーヒーを飲んだ明治生まれの人というのは私の祖父のことで、その息子というのは私の父である。父の子供時分に亡くなった祖父を私は知らない。父によって「暖衣飽食」「反面教師」「井の中の蛙」「不摂生」「(あくまで)自称軍師」などロクでもないレッテルを貼られ、さらに1枚「コーヒー」のレッテルを追加して封印された。かくて明治生まれの父親を反面教師とした人は大正浪漫の衣をまとうゆとりもなく馬車馬のごとく働いた。 時代は移り昭和生まれの我々の生活の中にいつの間にかコーヒーはすっかり定着した。もはや誰がどこでコーヒーを飲んでも浮薄の香りはしまい。
投稿: Mariko.F | 2009年2月18日 (水) 16:45
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実のつき方がまるで違うクチナシとコーヒーは似ているのは葉っぱだけだが、クチナシの仲間のルリミノキはコーヒーに似た実をつける。だからコーヒーとクチナシ(ヤエムグラも)はアカネ科の仲間だと感じさせられるということなのか。何だか三段論法みたいだ。
オレンジ色のクチナシの実は身近なところでもよく見かける。少しひからびていても摘み取ると実の内側からじわっと濃い色素が染み出て指を染める。
しかしコーヒーは生のままの赤い実を見たことがない。子供のころはインスタントコーヒーが普及していた。時代が下って煎ったコーヒー豆をミルで挽いてスローで深い味わいを楽しむゆとりが広がるまで、「違いが分かる男のコーヒー」という宣伝文句のコーヒーを飲んでいたと思う。
我々の親のまた親の代、明治の人がコーヒーを日常的に楽しむことはまだ少なかったらしい。ある明治生まれの人は村でたった一人コーヒー豆を挽いて湯を注ぎフランネルのような布で濾して飲んでいたという。周囲で誰も味わうことのないものを味わうところに特別な意識も芽生えるらしい。
明治といえば日本が近代国家へと大転換を遂げた時代だ。性急な西洋文明の取り込みの中でコーヒー豆も少しずつ広がっていったのだろうか。教科書の明治のページを開くたび、大日本帝國憲法発布の宮中式典や鹿鳴館の舞踏会など新時代を鼓舞する華やかな絵が登場した。中でも江戸浮世絵から飛び出したような面差しの男女がにわかに燕尾服やローブデコルテを身につけたかに見える絵が何とも不思議で印象深かった。和でもなく洋にも辿りつかない微妙なところに明治の気分があるように思えた。
明治生まれの中村草田男は「降る雪や明治は遠くなりにけり」と遠ざかりゆく時代に感慨を抱いた。それからはるかな時を経て今ひとつリアリティのない時代となった明治は、降る雪の向こうに錦絵の華やぎとともに輪郭線のない姿でぼうっと浮かび上がる。輪郭線のない絵はさまざまな幻想や神話を生む。たとえば激動の明治という時代を支えた人々は誰もがふところに進取の気性と稜々たる気骨を秘めていたのではないか、などと。
しかし村で一人コーヒーを飲んだ人の息子は、明治生まれの父親を反面教師としてきたと語った。暖衣飽食して不摂生の果てに家業を傾け、若死にして子に苦労をさせたからだという。朴訥な村人の前で少しばかりの知識を並べて見せたのも、誰もコーヒーを知らない田舎でせいぜいコーヒー1杯を飲んだほどのことだと切って捨てた。
コーヒーを飲むことがまだ走りだった時代のコーヒーの香りは今とは少し違っていたのだろうか。子に恨まれた人の飲んだコーヒーからは湯気と共に「浮薄」という香りが漂ったのかもしれない。
実はコーヒーを飲んだ明治生まれの人というのは私の祖父のことで、その息子というのは私の父である。父の子供時分に亡くなった祖父を私は知らない。父によって「暖衣飽食」「反面教師」「井の中の蛙」「不摂生」「(あくまで)自称軍師」などロクでもないレッテルを貼られ、さらに1枚「コーヒー」のレッテルを追加して封印された。かくて明治生まれの父親を反面教師とした人は大正浪漫の衣をまとうゆとりもなく馬車馬のごとく働いた。
時代は移り昭和生まれの我々の生活の中にいつの間にかコーヒーはすっかり定着した。もはや誰がどこでコーヒーを飲んでも浮薄の香りはしまい。
投稿: Mariko.F | 2009年2月18日 (水) 16:45