高知県室戸岬にある最御崎寺はシイの巨木が生育する南国の神社だ。
建物の脇には亜熱帯植物のクワズイモがたくさんあった。高知県内では室戸と土佐清水に生えている。クワズイモとは「食わず芋」のことで、その昔、空海が、地元の人が食用にしていたこの芋を乞うたが、地元の人はそれを拒んだ。するとたちまちその芋は猛毒の芋に変化したというのだ。サトイモ科の猛毒植物であるクワズイモが食用になるはずはないが、「困った人には施しをせよ」という教えを上手く盛り込んだ話だと思う。
しかし、京都のイメージの強い空海が、亜熱帯の植物であるクワズイモを平安時代に見ていたというのは面白い。
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クワズイモの葉は立派で観葉植物にもなりそうだ。サトイモの類はマレーなど熱帯アジアの原産というだけあって葉は大きくて力強い。これだけ大きな葉で旺盛に光合成をするとさぞ豊かな滋味と養分を地下茎に蓄えることができるだろう、とつい想像する。猛毒のクワズイモは人間のそんな思惑を察知しているのかもしれない。
子供のころから食べ慣れた野菜ですっかり日本の食材になりきっているものでも、原産地を聞くとそれらがアジアはもとより中東・地中海沿岸、果てはアメリカ大陸から遠い道を旅して日本の食卓にたどり着いているのが分かる。その多くが飛行機も汽車もない時代に人の手から手へ伝えられてきたのだ。
とうもろこしやジャガイモが中南米からやって来たということは昔からよく聞かされたことだが、大根・にんじん・ほうれん草・白菜・春菊・蕪・小松菜・ねぎ・ごぼうなど日本料理に欠かせない野菜、それにこれがないと和菓子も作れない小豆や多くの豆類までもともと日本になかったものらしい。それらの入ってきた時期は古事記にも記述があるほど古い時代から明治くらいまでまちまちらしい。さらに時代を経て今はハーブや中国野菜など新しいものがどんどん入ってきている。
ではそれらが全てなかったころの日本人はどんな野菜を食べていたのだろうか。山野に自生していたきのこや自然薯やセリやらウドやら七草の類などだろうか。そのくらいしか思い浮かばないが、食べられる植物はもっとほかにも身の周りにあるに違いない。大根やにんじんやほうれん草や白菜の方がはるかにおいしいから忘れ去られただけかもしれない。
「これ食べられますよ。」五十代の私より少し上の世代の方に道端の植物を指して言われることがある。ごく小さな穂を持つ草の、穂が葉にくるまっているときにそっと外側をはずして口に含むとほんのり甘いとか。甘いお菓子が珍しい時代、子供たちは庭先の柿やいちじくを食べ尽くすと野や山へおやつ代わりになるものを探しに行き、名前もしらないそんな草や実を幾種類も見つけたという。そんな経験のない私でも例えばグミといえば赤い小粒の実を思い出す。甘いグミ、すっぱいグミなど種類がいろいろあって、珍しくもなく庭先に植えられていた。しかし次の世代はグミといえば弾力性のあるガムのようなキャンデーを思い浮かべるのではないか。
筆者は9月のブログでハイヌメリのように当たり前に生えている雑草が、綺麗でも貴重でもないために人知れずなくなっていくのではないかと書いている。なくなっていくのは植物だけではなく、今もある食べられる植物の味わいの記憶も失われていくのではないか。私たちが今よりももっと酸っぱく青臭かった昔のトマトやりんごの味を忘れていくように、野山や道端にある植物を当たり前に口に含むことができることも、その淡いあるいは刺激の強い味わいも、特においしくも貴重でもないために共に忘れ去られているのではないだろうか。
投稿 Mariko.F | 2007年12月27日 (木) 10:33